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ミッドライフクライシス(中年の危機)と35歳定年説は本当?中年の危機的な老いとの付き合い方を考えるフリをしてみた。

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 オッス!人類。
 せっかく作ったサブのブログなので、たまには全く意味のない不毛な駄文も垂れ流してみようと思います。お暇な人のみご一緒にどーぞ!

 つい先日、嫁と1990年代のJ-POP談義をしていたのですが、昔買ったCDの話題になるや、突如「当時、押尾●学が好きでCDを今でも持っている」などとドヤ顔でほざき出したので、「殿!ご乱心を!?お気を確かに!!」風に、波風立てぬよう、速やかに意識を現実世界に引き戻すと共に、人前では絶対に話さぬよう強く釘を刺した僕です。
※お塩氏、及びファンの方々にはご健勝をお祈りすると共に、と申しますか、この度、お塩閣下が釈放、もとい音楽活動を再開されるとの朗報を聞き、この瞬間を待ちわびていた私めは、歓喜にむせび泣きつつ、クソ冷たいフローリングの上をのた打ち回り「でんぐり返ってばい・ばい・ばい」したかどうかは定かではありませんが、決して悪意はございません(多分)ので悪しからず。
 とにかく、今後のご活躍を期待しています。色々な意味で。特に新・お塩語録とか 。

 すまんね、国防総省発のインターネット。汚物が下水を流れるように、人々の命が輪廻転生で廻るように……何の価値ももたらさないこの駄文も、光回線を伝わり全世界を駆け巡るわけですね。
 文明の利器が常に正しく利用されると思ったら大間違いだぜ。あ、今インターネットに独り言を語りかけてました。通報は「株式会社はてな」窓口まで。

 

で、本題。

 やっと本題。
 もう1月が終わるじゃないですか?ついこの間正月だったのにですよ。今月、僕は何を成し遂げたたかと問われても、何も記憶が無いわけです。

 自分の人生を振り返ってみても同様です。
 僕は少しでも世の中の役に立てただろうか?ソマリア沖の海賊を壊滅させただろうか?全●裸で「履いてません」とかやって孤児院の子供らを喜ばせただろうか?痴漢にあったJKを救いフォーリンラブ、「せ、せめて…お名前を」→「セ・ザール」みたいなやりとりはあっただろうか?

 否、否、否。何一つ達成できてないわけですよね。

 こう考えると、人生ってあっと言う間に終わるんだな、とつくづく感じるわけです。
 この幼児性の強い感性とボキャ貧な文章を読まれると、読者の方は僕が20代前半の学生かと思われるかもしれませんが、一応30代という設定でして、決して若くはなく生活のパフォーマンスも今まで比べると急激に落ちつつあるお年頃なわけなんですね。

 

35年定年説は誤っているけど、誤っていない?

 二十代の勢いのある頃は、いっぱしの社畜・兵隊として、徹夜もいとわず鬼神の如く、馬車馬のように働いていたのですが、歳をとってさすがに無理が利かなくなってくることを身をもって知るようになるんですわ。

 実際問題、最近いろいろとおかしい。
 日常生活全般についてパフォーマンスが昔ほど出ていないんですね。記憶力も怪しく、カストロ議長のことを変な形で呼んでしまいそうになる。ただ単に疲労が蓄積されている可能性もありますが、やはり若い頃に比べると馬力が出ないんですね。
 今までは勢いだけで解決できた問題が、徐々に解決できなくなってきているのを実感しています。
 また、一晩徹夜しただけでダメージは数日に渡り残るようになりました。(そもそも徹夜なんてするもんじゃないんですが。)

 DNA(D「どうして」・N「タデココ」・A「あんなに売れたの?」) が傷つき悲鳴を上げているわけです。

 そこで思い出したのが35歳定年説というフレーズです。これ、表現自体は明らかに誤っていますが、やはりそれなりの根拠があって言葉というものは世の中に広まるんだな、とひしひしと感じています。ある程度の年齢いったら力任せに動くのはムリだよ。アタマ使って考えね。という意味で。

 

人生の正午!?ミッドライフクライシス(中年の危機)‐変化に付き合っていく

 要は何が言いたいかというと、歳取ったら今まで以上に自分や周囲の変化に適応すべく、柔軟にやっていかないとね、と。

 労働時間を削り、睡眠時間を増やし、食べ物に気をつけて、日々運動を継続する、という当たり前のことを、いよいよ当たり前に本気で継続しないと、あなたの日常生活は今までのクオリティすら維持できないよ?
 もっと言うと不摂生してると老人になった頃にいろんな病気になるよ?単位時間当たりの体感時間も、この先どんどん短くなるしね!自分の体力も去ることながら、両親も不老不死じゃないし、自身の残り時間についてもリアルに考え「死」というものを他人事でなく感じられてくるわけですね。

 というような中年の思春期的症状を、世間では心理学的に「ミッドライフクライシス(中年の危機)」と呼んだりするわけですね。ユングは40歳前後を「人生の正午」と表現し、人生の折り返し地点として定義しているようです。誰もがつきあたる壁のようなものでしょうか。

 しかしその一方、かの孔子は「…… 三十にして立ち 四十にして惑わず……」と表現しています。「惑わず」というのは心が安定した状態を指します。

 ん……なわけねぇじゃろぅて。

 孔子がどのような考えに基づいて提唱していたのか深くは調べていないのですが、この言葉だけ切り取って見ると現代の一般人には全く当てはまらないようにも思えるんですよね。
 40歳だから(自分はまだ40じゃないんですが)惑うわけで、40にして惑わず、というのは極めて不自然で理解しがたい表現だと思いました。
 まあ孔子先生や、よほど成熟・安定した心身の持ち主ならそうなのかもしれませんけども。

 

凡人の生存戦略を

 まあ、状況に応じて柔軟に変化させていこうや、という単純な話でもあるわけですが、個人的に一番大事だと思うのは、「過去の成功体験を捨てること」「局面が変化しても流れに対して下手にあらがわないこと」かな、と。

 水は高いところから低いところへ流れる。陽は東から昇り、西へ沈む。DNA(どうして…)には死というプログラムが予めインプットされていることが証明されており、やがてその時限発火装置が発動するときが必ず来る。

 んで、そいつがいきなり発動したら、か弱い人類はビックリしちゃうので、階段をゆっくりと降りるように、ソフトランディングさせてくれる機能をカミサマは提供してくれたわけですね。
 だったらそれに乗って逆らわずにゆっくりと、流れに沿って人生の残りの時間を設計して、降りていきませう、と。

 人は、いくつになっても自分を特別な存在だと思っています。
 勘違いから全能感を感じとってしまっていた若かりし頃とは違った、「何者にもなれなかった凡人である自分、だけど自分の人生の主役はやっぱり自分しかいない」という、建設的な、前向きなオレオレ感とでもいいましょうか。

 そんな前向きなオレオレ感と共に、死というゴールに向かって、一歩一歩、今日を大事に歩んで生きてたいものです。

 とまあ、長々と語りましたが、「このような駄文を読んで貴重な時間を浪費しないようにしましょうね!」という啓蒙活動的な怪文書でした

 懲りずにまた来て!ほいじゃ!

 

 

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