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ブログを書かないでいたら、書けなくなったという話。

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 こんにちは、wiz7です。ちゃんと息してるかい?

 しばらくブログを休んでしまったので購読登録してくださっている方々は「え?お前誰だよ?」という感じだと思いますが、とにかく僕です。僕なんです。僕だってば!普段はこちらで書いてます。

 今日はリハビリを兼ねて、のんびりと中身のない雑記でも書こうかね。あ、まるで普段は価値ある濃厚な記事を書いているかのような表現をしちゃったけど、まあそこはご愛敬。

 こちらのブログですが、見返すと前回の更新は今年3月でした。つまり、もう半年近くも更新をサボっていたわけですね。この体たらくについては、さすがの僕も驚きを禁じ得ませんでした。何が「さすが」なのかは、全くわかりませんが。

 名伯楽「鴨川会長」なら、きっとこう言うことでしょう。

 毎日の積み重ねがキサマらを弱くする!
 ――はじめの一歩 89巻(P.156) 

 

書かなくなると、書けなくなる2つの理由。

 ブログを長いこと書かなかった、もとい「書けなかった」原因を自分なりに分析してみたのですが、自分が無意識のうちに作り出す「心理的負荷」が一番の元凶なのだろうな、と考えています。

 「こんな不毛な記事を書いたら読者は去っていくだろうな」だとか、「この内容では役に立たないし共感も得られないから、ブックマークゼロだろうな」などと考え始めると、もうダメです。手が全く動かない。
 プレッシャーというほど大そうなものではないにせよ、書くのが非常に「おっくう」になってしまうんですね。
 誰もテメーのことなど気にかけていないにも関わらず、自意識のオバケに支配されるわけです。恐ろしい、恐ろしい。

 もう一つの理由として考えられるのは、執筆の習慣について。

 思考を文章化する際に利用する思考回路の利用頻度に関する問題です。

 ご存知の通り、人間の機能は使わなければ衰える一方ですが、逆に、使うことで強化されます。

 文章を書くこと自体がそこそこ習慣化されていた頃は、脳内の言語化・文章化中枢(と勝手に名付けたよ)が常に活発に活動しているため、筆の動きもスムーズかつ楽しく文章を書くことができていたのですが、それが一たび書かなくなると、「素早く文章化できずに、もどかしい」「面倒くさい」「楽しくない」という負のスパイラルに入っていくわけです。

 

人は習慣の奴隷。だから、今日も書こう。

 とまあ、この話はブログに限らず、運動でも瞑想でも野菜でも筋肉でも何についても同様で、継続すれば体・脳が慣れて楽にこなせ、上達することで日々楽しくなり、逆にサボればとたんにそれらは苦行と化し、無意識に営みから遠ざかってしまうんだよ、という小学生レベルの結論をもって、今回の記事を締めさせていただきます。

 特にオチはないからね。アディオス!

 

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