▶▶メインブログはこちらへ

「自分はダメ人間」って、ダメじゃない人なんているの?

f:id:wiz7:20151224054657j:plain

 オッス人類。元気か?wiz7です。

 今日は、とある記事を見つけたので人間の「ダメさ」について考えてみようと思うよ。元記事の考え方に対してどうこう、というお話ではありません。

cild.hatenablog.com

※なお、「ク○ズ」という表現は適切ではないと思うので「ダメ」という表記で進めます。僕は、ただでさえ自身がダメであるにも関わらず、美しくもない言霊で自分の魂をこれ以上傷つけてどーすんの?って思ってるので。

 自分がダメだという思想の背景にあるもの

 僕にもよくあるのですが、人が「自分はダメだ」と考えてしまうのは、そもそも人間(つまりは他人)はダメではない、と勘違いしているからだと思うのです。しかしそれは一方的な誤解であり、人間ほどダメな生き物はなく、そこに例外はないと思うんですよ。

 生身の人間は断じて聖人君子などではありません。当たり前ですが。

 家族でも友人でも恋人でも職場の人間でも、全てに同じことが言えますが、僕自身を初めとし、ダメじゃない人間を僕は今まで一人も見たことがありません。もしいたら紹介してください。
 不完全で醜く、誤解を与え与えられ、傷付け傷つけられ、自己中心的な欲にまみれ、日々自己欺瞞の元、騙し騙し生きながらえている動物、それが霊長類ヒト科だと思っています。

 ……何だか中二病全快のポエムそのものですが、黒歴史フラグが立たったところで次の節へ。

試しに周辺のブログを読んでみる

 誤解を恐れずに言うならば、僕含め、どのブログを読んでも例外なく「ダメ」なのです。ほぼ例外なく全ての書き手たちは何かしら問題を抱えており、無意識のうちにそれらが記事にも反映されています。ブログに限らず、この世の全ての事物についても同様の現象が起きていると言えますが。

 しかし、ダメだからこそ面白く、価値があり、尊いわけなのですよね。

 ダメじゃなかったらそこに意味や価値など存在しないわけです。まあ当たり前の話なんですけどね。

だが、それがいい。

 今日はクリスマス・イブですね。

 ピエロが去ったこの街にも、師走はやってきます。

 勝機と見るや否や、恰幅の良い白いタキシードを着た老人は、ここぞとばかりにご自慢のレシピで油で揚げた鶏を片っ端から売りさばいていきます。
 一点の曇りも、後ろめたさもない、資本主義社会の論理に基づいたこの商売のロジック。これもまた人間の醜悪でダメな側面なのかもしれないね。

 ダメな人間が、ダメな世の中を、したり顔でダメなりに回してく。

 非常に滑稽だよね。

 だからこそ面白いのです。

ダメであるが故に感じる、誰もが抱えている生きづらさ

 とはいえ、やっぱり苦しいものは苦しいわけで。

 ダメな部分と対峙して「少しでも楽に面白く」と、何か画策しようと考えるのもいいし、逆に、受け入れることでうまく付き合っていったっていい。

 人はいつだって自由なのだから。

 一つだけ言えるのは「ダメ」は自分にとって悪ではなく自身そのものであり、それはつまるところ正義だということなんだ。

 

photo by Glenn Waters