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家なし職なし、裸一貫で社会の荒波に飛び込んだ10年前。

photo by 伊特諾 雷

今回は、はてなブログの今週のお題が「10年」とのことなので、10年前の自分を振り返ってみようと思います。

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今、冷静に振り返ってみると「明らかに特殊な状況」だと思われるので、当時の経験の整理を兼ね、少しでも誰かの役に立てればと思い、こうして形に残しておこうと思います。

何もない状態からスタートした約10年前――。ここで言う「何もない」というのはお金・人脈・スキルなどがない、という意味ではなく、家と職がないという意味です。

とは言っても厳密には、直前まで実家に住んでいたので、短期間で住む場所を探して就職して、という流れになるのですが。ホームレスではありません。

諸事情により、何のスキルも持たないボンクラが短期間で「住まい&職」を探さなければならない超ハードモードでの社会人人生のスタート。(ニートをやっていて実家から追い出された、ということではありません。)

今でこそプロジェクトマネジメントの「プロジェ」ぐらいまではわかるようになりましたが、当時はプログラムの「プ」の字もわからないレベルでした。Java?ああ、あの完全無糖のやつですか(=JAVA TEA)的な。


まずは必死に家さがし

当然ですが、職を持たない人間(アルバイトもしていません)に気軽に住まいを貸すほど心の広い、というかモノ好きな大家さんは存在しません。

掲げた条件は、諸事情により「都内、鉄筋コンクリート、バストイレ付きで5万、物価が安くて都心へのアクセス良好、貯金もほぼ無い“生粋の無職”歓迎!」。今書いて改めて思いましたが、無謀です。失敗は許されないためプレッシャーも相当なものでした。

しかし10年前はその無謀さを乗り越えるだけの「勢い」がありました。10年経てば心身は老いますし、それにあらがう術はありません。今後10年についても同様です。

今の僕は、もうこの「勢い」を持ち合わせていないかもしれないけれど、失ったもの以上に得たものも多くあったわけです。それを大切にしつつ今後10年の間に、次に得たいものを楽しく獲りに行こうと思います。

物件探しの話に戻ります。賃貸物件を探している期間は「睡眠・食事・風呂」以外の一日20時間全てを、物件探しに費やしました。

朝起きると同時にPCを立ち上げ、不動産屋の開店時刻である10時ごろまで物件・不動産屋を検索、訪問ルートを計画し、日中は夜の閉店時刻まで歩き続け、帰宅したら就寝までずっと検索し続ける、という生活を続けていました。

電話のみの問い合わせを含めると、恐らく合計100件以上の不動産屋を回ったかと思います。当時6日間で3、4キロ程度痩せた記憶があります。友人からどうやって痩せたの?と、質問されたのですが「家を探してたら痩せた」と言ってもすぐには理解してもらえなかったのを記憶しています。

この活動の中で特に印象的だったのが、「職業の偽装工作」と「非合法カジノの元店員」でした。

「職業の偽装工作」というのは、不動産屋が無職の人間を住まわせるために使う手法で、不動産屋がダミー会社と契約し、大家に対して入居者を「ダミー会社の正社員」として紹介する、一種の詐○欺行為のようなものです。

社会人を始めようとした矢先に、社会の「真っ黒さ」を学ばされたのでした。結局、紹介された物件が臭くて薄暗くて狭くて壁もスッカスカだったので、結局こちらから丁重にお断りさせていただきましたが。

次に「非合法カジノの元店員」の件です。僕が無職である旨を不動産屋の店員に話した際に「凄いですね!よく正直に話せますね!僕は非合法カジノの店員やってたんですが、自分が賃貸物件を探す時は最後の最後まで中々言い出せませんでしたよ!尊敬します!」などとお褒めの言葉を頂戴すると共に、謎のカミングアウトをされてしまったということがありました。

基本的に僕は褒められて伸びるタイプなのですが、人に褒められてここまで複雑な感情を抱いたことはありませんでした。思わず「いえいえ、非合法カジノの方が大変だと思いますよ!大丈夫です」などと、全くもって意味不明な返答をしてしまった気がします。


大人の階段上る

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」作戦が功を奏し、条件と合致する物件を保有する、とある個人が経営する不動産屋さんを発見。一刻も早く直接会って「純度100%の無職」である旨を伝え、説得しないといけません。不動産屋に飛び込むとそこには、従業員のオバチャンと社長のオジサンがいました。

僕「~というわけでして、なんとか住まわせてください!!」

オバチャン「ダメ!ダメ!仕事も無いなんて!『住居と職』、両方ない人は、両方とも見つけづらいのよ」

案の定、当然の反応です。回った不動産屋の数も相当数です。いよいよもう潮時か。そう思った矢先、黙って聴いていたオジサンがひと言。

社長「わかった、オレが大家さんに話をつけておくよ」

僕・オバチャン「ふえッ!!!!?????」

社長「仕事は、ある程度目星はついているんでしょ?」

僕「いや、あの、これから応募…」

社長「でも『目星』はだいたいはもうついてるんでしょ?」

僕「…はい。(『目星』ってアンタ…どの企業を受けたい、という程度だよ?てか職探しで『目星がつく』って何だよ!?)」

社長「よし!話を通しておくよ!」

オバチャン「ダメよ!」

社長「いいよ、オレから話すから」

オバチャン「…」

まさかの急展開。人気物件だったのでリスクを負ってまで僕を入居させる必要はなかったはずです。社長がなぜ僕にOKを出したのかは未だに謎ですが、大家さんにうまく話を通してくれました。

ここで学んだのが「モノは言いよう」という「社会の原理原則」でした。今思い返してみても、就活で「目星がついてる」って何だよ。僕が企業に対して一方的につけてるだけですよ。いや、この不動産屋の社長には今でも本当に感謝しています。

「偽装工作を回避」「非合法カジノの話」「モノは言いよう」と、僕は大人の階段を着実に上っていったのでした。

この経験から得た知見は

  • 重い扉は「執念」によってこじ開けられる。これは根性論ではなく、どちらかというと確率論に近い。月並みだが「継続は力なり」とも言い換えられる
  • 行動することでのみ経験値は得られるが、仮に短期間であってもその経験値は行動の密度に比例する
  • 最後は人と人のやりとりで決まる。全ては「人」

以上が「部屋探し編」のお話でした。この後すぐに未経験OKの求人に応募し、結果、運よく「面接」を通過することになるのですが…いや、厳密には「契約書も交わさない、いつ強制終了されるかもわからない、地獄の3ヶ月間に及ぶ長期面接」が開始された、ということなのですが――。

こちらについては、「目星」がついたらまた別の機会にでも!