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「自分はダメ人間」って、ダメじゃない人なんているの?

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 オッス人類。元気か?wiz7です。

 今日は、とある記事を見つけたので人間の「ダメさ」について考えてみようと思うよ。元記事の考え方に対してどうこう、というお話ではありません。

cild.hatenablog.com

※なお、「ク○ズ」という表現は適切ではないと思うので「ダメ」という表記で進めます。僕は、ただでさえ自身がダメであるにも関わらず、美しくもない言霊で自分の魂をこれ以上傷つけてどーすんの?って思ってるので。

 自分がダメだという思想の背景にあるもの

 僕にもよくあるのですが、人が「自分はダメだ」と考えてしまうのは、そもそも人間(つまりは他人)はダメではない、と勘違いしているからだと思うのです。しかしそれは一方的な誤解であり、人間ほどダメな生き物はなく、そこに例外はないと思うんですよ。

 生身の人間は断じて聖人君子などではありません。当たり前ですが。

 家族でも友人でも恋人でも職場の人間でも、全てに同じことが言えますが、僕自身を初めとし、ダメじゃない人間を僕は今まで一人も見たことがありません。もしいたら紹介してください。
 不完全で醜く、誤解を与え与えられ、傷付け傷つけられ、自己中心的な欲にまみれ、日々自己欺瞞の元、騙し騙し生きながらえている動物、それが霊長類ヒト科だと思っています。

 ……何だか中二病全快のポエムそのものですが、黒歴史フラグが立たったところで次の節へ。

試しに周辺のブログを読んでみる

 誤解を恐れずに言うならば、僕含め、どのブログを読んでも例外なく「ダメ」なのです。ほぼ例外なく全ての書き手たちは何かしら問題を抱えており、無意識のうちにそれらが記事にも反映されています。ブログに限らず、この世の全ての事物についても同様の現象が起きていると言えますが。

 しかし、ダメだからこそ面白く、価値があり、尊いわけなのですよね。

 ダメじゃなかったらそこに意味や価値など存在しないわけです。まあ当たり前の話なんですけどね。

だが、それがいい。

 今日はクリスマス・イブですね。

 ピエロが去ったこの街にも、師走はやってきます。

 勝機と見るや否や、恰幅の良い白いタキシードを着た老人は、ここぞとばかりにご自慢のレシピで油で揚げた鶏を片っ端から売りさばいていきます。
 一点の曇りも、後ろめたさもない、資本主義社会の論理に基づいたこの商売のロジック。これもまた人間の醜悪でダメな側面なのかもしれないね。

 ダメな人間が、ダメな世の中を、したり顔でダメなりに回してく。

 非常に滑稽だよね。

 だからこそ面白いのです。

ダメであるが故に感じる、誰もが抱えている生きづらさ

 とはいえ、やっぱり苦しいものは苦しいわけで。

 ダメな部分と対峙して「少しでも楽に面白く」と、何か画策しようと考えるのもいいし、逆に、受け入れることでうまく付き合っていったっていい。

 人はいつだって自由なのだから。

 一つだけ言えるのは「ダメ」は自分にとって悪ではなく自身そのものであり、それはつまるところ正義だということなんだ。

 

photo by Glenn Waters

幽霊を全く信じなかった僕が、考えを改めた理由。

f:id:wiz7:20151123051115j:plainphoto by John Morgan

 オッス人類!元気か?wiz7です。

 今日はこの寒い中、霊の話をしようと思います。
 寒いのが苦手な方は乾布摩擦をしてからお読みください。

 僕には霊というものが全く見えず、怪奇現象も経験したことがありません。また、根っからの(屁)理屈人間でもあるため、非科学的な話は一切信用せず、幽霊の存在などについても懐疑的というか全く信じていませんでした。

 商業的に「ある一定の需要があるからこそ、供給(=作り話)があるんでしょ?」程度の認識だったのです。

 なぜその認識が歪んでいったのか……今日はそんなcoooooooolなお話です。

※この記事に書いた内容は全て、脚色も嘘偽りもない真実です

 

ワイの部屋が「通り道」だって?

 かなーり昔の話ですが、当時付き合っていた彼女が、ある日突然「私には霊が見える」などと言い出したのです。最初は話題づくりでネタとして笑わせにきているのかと思ったのですが、当の本人はいたって大真面目。
 僕の顔からも徐々に笑みが消えていきます。

 その話しぶりから冗談でもウソでもないことは理解できたので、僕は急遽、詳細をヒアリングすることにしました。

※会話の詳細はうろ覚えですが、概要は合っています。

 僕「霊が見えるの?じゃあ何さ、今、この俺の部屋にもいんの?」
 彼女A「ええ……と、あまり言いたくない」
 僕「いや、気になる、教えてよ」
 彼女A「(表情を伺いつつ、少し言葉を選びながら)怖がら……ない?」
 僕「うん、全然へーきへーき(何だよこの展開)」
 彼女A「この部屋、霊の通り道になってるみたいで。さっきも通ったよ」
 僕「いやいやいや(苦笑)」

 自分の部屋が霊の通り道て(笑)
 思わず「(笑)」をつけてしまいましたが、これは笑うしかないですよ。

 だって考えてもみてください。僕の全ての営みはそのワンルーム賃貸の部屋で行われているわけですよ。全ての行為が、様々な霊たちに筒抜けなわけじゃないですか。
 夜な夜な一人で、特定のジャンルに偏った「動画」を日々鑑賞しているのも、全て見られているわけじゃないですか。

 っていうか「通り道」って何でしょうか。彼らはどこから来てどこへ向かうのか?

 僕には彼女の話が正直理解できなかったので、とにかくその「霊」とやらについて根掘り葉掘り聞きまくりましたよ。内容はあまり覚えてませんが。
 しかし、詳細まで淀みなく、矛盾無く語る様を見て僕がたどり着いた結論は「ウソはついていない。彼女には何かが見えているのは事実のようだが、それが本当に霊かどうかはわからない」というモヤっとした、よくわからないものでした。

 ちなみに「人に霊の話をすると、頭がおかしい人だと思われるのが嫌なので、極力この話はしないようにしている」とは本人の弁。
 まあ、そりゃそーだろうね……。

 ここで話が終わっていればネタとして終わる(?)のですが、意外な形で話は続くのでした。

 

信憑性が増してきた

 で、時は流れその数年後――。

 全く別の女性と付き合っていた際の出来事です。

 彼女B「驚かないでね、私、昔、霊が見えてたの」

 ――って、アンタもかよ!?
 完全なデジャブです。本当にありがとうございました。

 あれか、君たちは僕の興味を引くために、もしくは別れたいがために、あの手この手を駆使して揺さぶってくる戦略を採ったのだろう?
 OK。私も資本主義社会という名の戦場でそれなりに修羅場をくぐってきた一人の兵隊だ。君らの挑戦、受けて立とうではないか。

 僕「あのさ、何なの(あなたたちは)一体!?今は見えないの?」
 彼女B「二十歳過ぎたら急に見えなくなったんだよね」
 僕「はぁ?何だその『お酒は二十歳になってから』みたいな
 彼女B「知らないよ!!特にキッカケがあったわけじゃないけど、突然見えなくなって」
 彼女B「見えている間はそれが当たり前だから何も感じなかったけど、見えなくなってから急に怖くなって」
 僕「いやいやいや(苦笑)」

 正直、脳の処理が完全に追いつかない。笑うしかありません。

 で、ここまでなら、まだネタで済ませていいんですよ(そうでもないか……)。
 その話の続きで、ちょっとこれはさすがにどうだろう、と思った話が一つだけあったので、皆様に共有しておきます。

※なお、彼女A・Bは共に健康で、特にメンタル的な病などからはほど遠い位置に存在するタイプの人種であったことを補足しておきます。

 

霊を分かち合う二人

f:id:wiz7:20151123051329j:plainphoto by haru__q

 彼女B「昔、友達とドライブしていて、とある信号で停車した際に、ランドセル背負った女の子の小学生の霊が、横断歩道で立ち止まって私たちを見てたんだよね」
 僕「へー」
 彼女B「で、私がその子を何気なくじーっと見てたら、助手席の友達が『彼女Bちゃん、ひょっとしてそこに居る女の子が見えてるの?』って言ってきて」
 僕「」
 彼女B「凄くびっくりしたけど、『xxちゃんも見えるんだー!?』ってなって、幽霊談義が始まってちょっと嬉しかった」
 僕「いやいやいや(苦笑)」

 ここでも、彼女はウソをついているわけではないのです。嘘ついてもメリットが全くありませんから。全くもって理解できない世界ですが、事実としてあった出来事のようです。
 ちなみに、この彼女Bも彼女Aと同様、霊の話をすると変人だと思われるため、極力、人には話さないようにしているとのこと。
 毎度の如く、この説明のおかげで信憑性が増すわけです。もうお腹いっぱいです。

 

よくわからないけど、やっぱりいるのかも?

 前述のエピソードを聞いて始めて僕は「ひょっとしたらいるのかもしれないな」と思うようになりました。

 彼女AとBが「自分には見える」と主張していた件については、脳が目の前のものを認識する際に、脳内の神経細胞間を伝達する電気信号の具合次第で、如何様にでも認識し得る可能性は排除できないわけで。
 つまり、AとBの脳が他の人たちと比べて特殊だったのかどうかはわかりませんが、本人らに「何かが見える」のは事実だったのでしょう、ということです。

 ただ、それが霊かどうかはわからないわけで。

 しかし、彼女Bのドライブのエピソードによって「彼女Bとその友人という別々の人間が、目の前の『女の子』を同時に認識した」ことが判明したわけです。

 片方の発言が、もう片方の「認識」に影響を与えていた可能性について考えましたが、最初に発せられた言葉は、彼女Bの友人の「見えてるの?」というフレーズです。それ以前から既に彼女Bには見えていたわけで、Bはそれを聞いて「驚愕した」と述懐しています。

 僕の中の「何それ、オバケいるん?」疑惑が一気にが高まってしまったのです。

 もちろん、僕が実際に目にしたわけではないので、憶測の域を出ませんが……。

 

ゆうれいは、あなたの心が決める!?

 まあ、この記事読んで「ア◯ホやこいつwww」となどと考える人も大勢いるかと思います。僕も正直半信半疑というか、何かの間違いだとも考えていますし。

 ただ、ここで一つだけ考えてみて欲しいのです。

 例えば、人が自殺した事故物件を安く借りられるとして、そのような物件に入居したいと思いますか?
 霊を信じていないという大多数の人たちが、これを拒否するんですよね。
 あなたもそうではありませんか?

 これって、矛盾してませんか?

 要は、誰しもが心のどこかで霊の存在を信じているのです。

 そう考えた時点で、本来、物理学的には存在しない(かもしれない)ものも、あなたの中では存在することになるのかもしれませんね!


 あなたに霊は見えていますか?

 ひょっとしたらあなたの部屋も……

お金はともかく、PVに興味がない人たちの考え方を分析してみる。

 おっす。人類元気か?

 PVに飢えた、一般庶民のwiz7です。

 少し前になりますが、「ブログ上で収益報告するのって品がないよね?」等といった議論が交わされていましたね。
 個人的にはお金はともかく、PVがとにかく欲しい!とは考えていました。PVと言うよりは厳密には「一人でも多くの人に読んでもらいたい」とった表現の方がしっくりくるのですが。

 一方、世の中にはPVなんて要らない!などという方も存在するようなので、その考え方について少し想像してみようと思います。

 

「誰かに読まれたい!」と思っているはずなのに?

 ブロガーの皆さんは、人に読んでもらうことを前提にブログを書いていますよね?そうでなければEvernoteにでもしたためておけばよいのですから。僕は先ほど述べた通り、少しでも多くの人に読んでもらいたいと考えているので、バズったり購読者が増える度に、全裸になり半狂乱で歓喜の舞を舞います。

 で、このような考え方は、全ブロガーに例外なく当てはまる不変の真理だと思い込んでいたのですが、やはり世の中は広いもので、PVは不要だと唱える人もいるようです。

 僕の観測範囲に限った話ですが、PV不要論を唱える人を数名ほど見つけました。って、そんなに多くのブログを読んだわけではありませんケド。
 で、その方々に共通しているのは、どうも「人が多すぎるのが嫌だ!」という想いのようです。逆に言えば、ある一定規模の読者に読まれること自体は嬉しいと感じているようでした。

 

もし自分が影響力を持ったとしたら。

 先ほど述べた通り、僕のような庶民は読者は多ければ多いほど嬉しい、一人でも多くの人に読んでもらいたい!アルファブロガーだか、ベータだかカッパだかイプシロンブロガーだかよくわかりませんが、とにかく多いに越したことはない!と考える単純なタイプなので、彼らの読者が多いことに対する不満が全く理解できませんでした。

 理解できないため、ここから先は完全に憶測の域を出ませんが……あまりに多くの人たちに囲まれると毎回、良くも悪くも何を書いても凄まじい反応が返ってくるため、書くこと自体がプレッシャーになるのかもしれないなぁー?とも思いました。

 こう表現したら炎上しそう…などと、一字一句吟味しながら推敲するとなると、確かに心身共に計り知れない負荷がかかるかもしれません。ファンが多すぎるが故に、逆に疲弊して消耗してまう、という。凄く誠実で真面目な方々なのかもしれませんね。

 僕はアルファブロガーではないのでその気持ちが正直わかりませんが、仮にメインブログの方で、多くの読者を抱え、影響力をもったとしても、委縮することは絶対にないだろうな、と思います(増えたら、ればの話ですが……)。どれだけ人が増えても、より多くの人に、もっともっと届けたい!と切に願うと思います。

 人の数だけ考え方があって。一方、結局はみんな似たようなことを考えていたり。

 人間って深くて面白いですなー。

 みなさんが仮に影響力をもったとしたら、どう感じると思いますか?

 というわけなので、このサブブログと、メインブログに購読者登録をして帰っていただけると、僕は歓喜の(略

1年かけて38記事って。良いブログの4つの条件。

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 おひさしぶりー!Happy Halloween!!
 
今年も残すところあと2ヶ月ですが、皆さん生きてますか?
 つーか、あんた誰だっけ?と言われそうなくらい更新していませんでしたが、一応僕は息をしています。次の更新は8年3ヶ月後かな。

 で、本題ですが、明日2015/11/1で、メインブログを公開して丸一年になります。パチパチ……(まばらな拍手がパラッパラ)

 続けられたのは読者の方々のおかげです。今まで本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

メインブログの購読者数 記録メモ
  • はてなブログ:418名
  • Feedly:289名
  • Facebook:74名

 とはいえ、記事数は、現時点でたったの38記事。何コレ?

 

10分の1の努力

 この38記事という数字ですが、毎日書いているブログの達人たちに比べると、実に約10分の1程度の分量に相当します。……何なのでしょうかね、この体たらくは?

 僕は達人たちの10分の1 の努力しかしていないわけですね。10分の1の存在価値しかないわけですよ。もうブログタイトルも『10分の1の闇』とか中二病チックに変更しようかと思うわけです。もしくは『いるのかいないのかわからないブログ』とか、『石の下の虫の下のブログ』とか。

 いやね、人それぞれの生活パターン・ブログのスタイルというものがあるので、絶対の解なんて無いことはわかっていますよ、でもね、やっぱり週に1本くらいは書こうや、と。良いものを書きたければ、ある程度は数を書こうや、とも思うわけです。そんくらいできるだろう?

 いかに質が高かったとしても(お世辞にもまだ質が高いとは言えませんが)、やはりある程度露出して認知してもらう努力も必要だと思うのですよね。

 「自分のために書いている」とはいえ、読んでもらえてナンボという側面があるのは事実です。ある程度は知られなければ存在しなものと同義だからです。読まれなくてよいのならEvernoteにでも書いていればいいわけだしね。

 どうでもいい記事を量産しても仕方がないのは事実ではありますが、やはり数をこなしPDCAを回し続けることで初めて見えてくる景色というものがあるわけですね。カルロスゴーンのおっさんも経験こそが最高の教科書だと言ってた気がします。
 ということで、次の1年は週に1本、年間52本書こうと思います。本当は2~3本書きたいけど、回転数は少しずつ上げていきたいと思います。

 僕が書いたのは高々38記事でしたが、その中からいろいろと見えてきたこともありました。大事なポイントだけ、ここにまとめておきます。

 

僕が38記事書いて見出した、良い記事が満たす4つの要素

 今、僕が考えている良い記事は、下記の4要素を満たしたものです。

  • 新規性があること
    「あ!その発想はなかった」といった新たな気付き。
    読者へ新たな価値観を提供することが可能となります。
  • 自身の言葉の主張であること
    独自の主張は世界で唯一のオリジナルコンテンツです。
    替えはききません。
  • 自身の経験に基づいていること
    経験談は真実です。ノンフィクションです。読者を説得するにはウソ偽りの無い真実という名のエクスカリバーが必要なのです。いかに崇高で緻密な主張であっても、机上の空論は真実に勝ち得ません。

  • 笑いがあること
    笑いと笑顔こそが、人生の救いだと僕は思います。
    何かいきなり話がブログから人生に飛躍しましたが、個人的にはココが全くできていないので今後の課題。

 ……って、意外と普通で新規性も何もないですな。

 

毎日更新するモンスターも苦しんでる

 毎日ブログを書いている人は本当に凄いなーと思います。特に働きながら更新しているモンスターたち。

 とはいえ、彼らが日々涼しい顔して更新しているかと、決してそういうわけでもないようです。あちこちの著名ブロガーから「苦しい、大変だ」という声を聞くたびに、ああ、同じ人間なんだと思い知らされます。

 人間、毎日生きていれば体調(メンタル・フィジカル)が悪い日も当然あるわけです。頭が回らない、言葉が全く出てこない日もあるでしょう。でも、淡々と毎日書く。凄まじい精神力だと思います。もはや変態か何かじゃないかと。

 それに比べたら週に1本くらいいけるやろ、書こうや、と。

 

ブログは遊び場!!

 ずんずんさんのツイートが的を射ていたので貼っておきます。

 言及するのも恐れ多いんで止めときますが、この方、ブログを本当に楽しそうに書かれています。
 一人でも多くの人に読まれたいと思う反面、自分のために書いて自分が楽しくなかったらブログ書く意味などないなーと改めて思ったのでした。
 そもそも、誰の為に生きてるんだよ?という話ですしね。

 自分が書きたいと思った記事を、自分が納得いく形で、一定のペースで書き続けること。
 
その結果、購読者が増え続け、ブックマークがついてバズりまくって……でも、そこはあくまでも結果に過ぎずアウト・オブ・コントロールだから気にしない!というのが僕のブログが目指す形であり、理想です。

 1年後、3年後、5年後の自分がコレ読んだらどう思うだろう?
 黒歴史フラグが立ちましたね。

 ほいじゃーまた!

 

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五郎丸選手の忍者のポーズを考える。「ラグビーW杯日本代表」南アフリカを撃破して

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 五郎丸選手「ニンニン! 拙者、本日の試合に決着をつけるため、遥か古(いにしえ)の時より代々引き継がれし忍術「強蹴楕円球通過棒之間*1を発動するでござる!!」

 選手A「な……何だってー!?ご……五郎丸……アレを使うとお前、丸三日間は全く動けなるはず……場合によっては選手生命にも影響が……(ざわ・・ざわ・・)」

 五郎丸選手「気遣い、かたじけない!!しかし皆、今日という日のために何十万回という厳しいトレーニングを積んできたでござる!今しかないんだ!……でござる!」

 選手A「そこまでチームのことを……てか、お前……五郎丸って本名か?」

 五郎丸選手「本名だよ!!てかそれ、今カンケーなくね!?」

 選手A「そうか……じゃあ、姓が「五郎」で、名「丸歩」だな?」

 五郎丸選手「五郎丸/歩だよ!チームメイトだから知ってるだろ!!つーか、今」

 などと五郎丸選手が吠えたどうかは全く定かではないが、世界が注目するラグビーW杯:「日本 VS 南アフリカ」の大舞台。

 そのNINJAは「印」を結ぶことで全神経・精神を統一。

 一切の迷いはなく、渾身の力で振り抜かれた「黄金の右」は、いびつな楕円形の芯を力強く打ち抜いた。

 ボールは全くブレることなく一直線に舞い上がり、この上なく美しい放物線を描きつつポールの間を通過していった。

 その愚直なまでに真っ直ぐな軌道はまるで「五郎丸選手の強い意志を汲んだかのようだった」とは、後日関係者の談、かどうかは全く以て不明である。細かい描写はすべて架空の話であった。(ナレーションは田口トモロヲで

 そして日本のSーAーMーUーRーAーI達は世界を斬ったのであったーー。

ーーナレーションはここまで。ここで照明が明るくなる。ーー


 ところで、この五郎丸選手のポーズ。

  「印」とか「忍者のポーズ」じゃなくて、どうも「おがみポーズ」という情報もあるようです。よく知らずに適当なことを言ってスミマセン。
 感動してリスペクトしてこの記事を書いています。

 

なぜトップアスリートたちは「ルーチン」を持っているのか?

 世界の頂点で活躍するスポーツ選手達は、CoCo壱番というときに自分の実力を余すところなく発揮するため、神経を集中しプレッシャーをコントロールする必要があります。
 その手助けをするのが「ルーティン」(=儀式)です。

 日頃から集中する場面でルーティンに従って行動することで、いざ本番の試合でなかなか集中できなかったとしても、「いつも通り行動すること」で神経が研ぎ澄まされ、普段通りのプレーが可能となるわけです。
 
 今回のこの五郎丸選手の忍者のポーズがそれに該当します。日々、練習時からこの印を結んで厳しいトレーニングを積んでいたことでしょう。

 では、ほかのスポーツ選手の例を見てみましょう。
 イチローのバッターボックスに入ったときのモーションが有名ですよね。

 他には例えば……

  • 錦織をはじめとするテニスプレーヤーたち
    サービスを打つ前に必ずといってよいほど、ボールを地面に何度かつきますよね。マリ付きで遊んでいるわけではありません。
    僕も趣味でテニスやってますが、やっぱり彼らのように集中できません。
    音「タン、タン、タン、タン……」
    僕の頭の中「あーんた がーた どーこ さー」

  • 既に引退されましたが桑田真澄投手
    ボールに向かって一人マウンド上で独り言をつぶやきます。
    これはルーチンであるとともに、セルフイメージを高めるアクションでもあります。
    一歩間違えると危ない人にも見えるのでまねする際にはご注意

  • タイガーウッズ
    ショットの前に祈ることで有名です
    「あー、このショットがカップインしたら、さっさと彼女の元へ帰ってカップインしよ」

 最後の例はカップインしすぎな気もしますが、このように、スポーツ選手達のメンタルコントロール術は、例を挙げれば枚挙にいとまがありません。

 

身近なルーチン

 僕らの身近な例で言えば「睡眠」の就寝前の儀式がありますよね。

 睡眠、就寝前の数十分、癒し系の音楽を聞いたりアロマを使ったり、すとれっちしたり自分なりの「ルーチン、儀式」を習慣化することで、イザ眠れない日もルーチンを行うことで眠り易くなるわけです。


 あなたもとっておきのルーチンを作ってカップインしてみませんか?

 

画像はhttp://number.bunshun.jp/articles/-/822074様より引用

*1:詳細は『民明書房刊』を参照のこと